「まぁいっか」は自分を楽にする
つーさんを出産して1歳までの間、
私は毎日とにかく育児書を読み漁りわからないことがあればネットで調べまくっていました。
初めての育児、赤ちゃんを抱いたのは小学生の頃が最後だった私にとって小さなつーさんは宇宙人。
何が正解かもわからず
育児書通りに離乳食が進まない。
体重が少し少ない。泣き止まない。
上手く寝かしつけられない。
どうして?と不安になっていました。
初めての育児にバタバタなのに
家事の手抜きも出来ていませんでした。
掃除機は毎日かけないと。
洗濯も毎日回さないと。
オカズは必ず一汁三菜何時までに作る。
「〜しなければ」に囚われていました。
1日掃除機がかけられない日があろうものならイライライライラ。
自分の段取り通りにいかないと焦りでそれはもうイライラしまくっていました。
物凄い勢いで成長し変化していく0才児との生活。今思えば、そんな中でスケジュール通りにいくわけがないだろうと。
つーさんが1歳、歩き出した頃のある日その頃ストレスマシンだった私。
大噴火を起こしました。
張り詰めていたものがプツンと切れてあんなに気にしていた掃除、洗濯、炊事。
なんにもやる気がなくなってしまいました。
そこで2日間、家事をお休みしてみた。
洗濯が溜まっても回さない。掃除はしない。食事の支度は申し訳ないけれどお惣菜で済ます。久しぶりのゆったりした時間。その2日つーさんと遊ぶ事に時間をかけました。
家事をお休みした2日間が終わり、溜まった家事を片付けるとある事に気付きます。
1日、2日手を抜いても何も変わらないではないか。
「〜しなければ」からの解放でした。
大袈裟に言ってしまえば、少し部屋が散らかろうが洗濯が溜まろうが、食事がお惣菜の日があったって「それで死ぬことはない。」
適度な手抜きを覚えました。
そして家事を完璧にこなそうとしなくなり、つーさんと向き合う時間が増えたことで、もう1つ気付きます。
育児書もネットで調べたことも、所詮マニュアルにしかすぎない。育児書通りに育つのであれば、子どもは皆同じになってしまうではないか。
育児書通りにいかないと悩んでいたことがバカらしくなりました。それと同時につーさんに物凄く申し訳なくなった。
つーさんが1歳になる頃まで、私が向き合ってきたのは子どもではなく育児書だった。
一瞬で過ぎてしまう貴重な赤ちゃんの時期を、マニュアルにこだわり悩み続けてしまったことを後悔しました。
「〜しなければ」という意識は、自分を焦らせ苦しめるだけでした。
私の場合、自分だけでなく「〜しなければ」を夫にも押し付け苦しめていました。
夫にとって気の抜ける帰ってきたい家庭ではなくなっていたのです。
前記事で書いた夫の不倫。
これはわが家の場合は私にも責任はありました。
意識を「〜しなければ」から
「まぁ、いっか」に変えたことで自分自身のストレス軽減は勿論、子どもに向き合う時間も増え、夫との関係性も少しずつ変わっていきました。
自分に余裕が生まれることで、家庭の中に笑顔が増えた気がします。
今でもたまに、「〜しなければ」に無意識のうちに囚われてしまいそうになることがあります。
そんな時は思っていなくてもとにかく「まぁ、いっか」と口に出します。
言っているうちに不思議と本当にそんな気がしてきます。
私にとって適度な手抜き、「まぁ、いっか」は魔法の言葉です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。